保険が使えない自費診療である理由は?という質問がありました。
1991年の6月に開業しました。それまでは、大学の精神科医局、私立精神病院、公立総合病院の精神科に勤めましたが、すべて保険診療でした。保険診療の範囲内で、精神療法が出来ないものかと試みていました。
精神療法的に接しようと思うと、一人の人との診察時間に時間がかかります。開業後は、一人50分と決めていますが、保険診療の中では、50分は取れないにしても、ゆっくりある程度は時間をかけようと思うと、色々な摩擦が生じ、ストレスが絶えません。外来では、待っている患者の待ち時間が増えます。受付事務から苦情が来ます。私のほうも、待っている人のカルテが増えてくるのを見るだけで、焦りの気持ちが強くなります。病棟では、定時の時間内だけでは、診察を終了することが出来なくなります。消灯時間の直前まで患者と会っていると、夜勤の看護者から文句が来ます。保険診療に伴う書類を書くのに結構な時間をとられるのもストレスでした。
この事情を少し角度を変えて述べてみます。一人に50分時間をかけ、一日6人の診察があると仮定した場合、それを保険診療で行うとすると、得られる収入は一日2万4千円弱にしかならないのです。月額にすると50万弱になりますが、これだと、事務所の家賃に少しおつりがくるぐらい、受付事務の人件費も出せません。私には全く収入がないどころか、毎月赤字が重なっていくということになります。一人に時間をかけることにこだわる限り、保険診療でクリニックを維持していくのは、全く不可能だと言っていいと思います。
以上のようなことから、開業する時に、自費診療で始めることに迷いはありませんでした。近藤先生がそうしているということも大きかったと思います。私の属していた医局では、自費診療で開業する例が初めてだったので、経営的に成り立っていくのかと、心配してくださる方が結構いました。1958年に近藤先生が開業する時も、医局の先輩から、日本ではそういう形での診療所は無理なんじゃないかと言われたそうです。近藤先生の開業時からすでに60年以上過ぎているわけですが、今現在でも、精神療法専門(自費診療にならざるを得ない)のクリニックは、精神科クリニックの爆発的な増加の中で、きわだって少ない、という印象です。
医師以外のセラピストがオフィスを開くというのが、少しは増えているのかもしれません。しかし、経営的に大変だという話が耳に入ってきます。彼らが臨床をやろうとする場合、最も現実的なのが、保険診療のクリニックに雇われることのようです。クリニックの医師の依頼を受けてセラピーに携わるということになります。依頼する側の医師は精神療法を実際に行ったこともないし、精神療法についてほとんど何もわかっていません。そのような医師が主治医であり、立場としては上だということになりますから、この治療構造の中で依頼された人との精神療法を続けていくのは相当にやりにくいもののようです。臨床心理士からそういう話を聞かされることが少なくありません。セラピストとして成長していくのも簡単ではない環境だと思います。
一方、精神科を訪れる人たちは、ただ薬で症状がやわらげばいいというだけではない、『治療って?』の中で述べたような、人間としての成長を求めるというニーズをお持ちの方が少なくないと私には感じられます。もしその私の感じが間違っていないなら、患者の求めるものを全くと言っていいぐらい提供出来ていないのが現在の精神医療の現状だと言えるのではないでしょうか。
このミスマッチを少しでも解消していくには、そのニーズに応えられるセラピストが少しでも多く育つことがなによりも大事なことでしょう。その人たちを育てる教育の場所も、現状では、自費診療の現場の中でないと難しいのではないかと考えています。