近藤先生についてシリーズで書いてくれとのリクエストがありました。
まずは近藤先生に出会った頃の記憶をたどってみることにします。
大学病院での研修医の期間が2年間で、その後、1976年に、川崎にある私立の精神病院の常勤医になりました。医局の本棚に河合隼雄先生の『ユング心理学入門』がありました。気になっていたのになかなか手に取らなかったことを憶えています。読んだのは1977年になってからだったかもしれません。すーっと一気に読んだ、読みやすかった、わかりやすかった、という印象が残っています。
次に記憶に残っている場面は、河合先生の奈良のご自宅の応接室です。1977年の9月頃だったと思います。川崎の病院で知遇を得、その後も色々と応援を続けて下さった空井健三先生の紹介です。
河合先生と面と向かって座り、精神分析学会に参加してみての感想、つまり、権威的、知性的な感じがし、この人から分析を受けたいと思える人がいなかったとか、『ユング心理学入門』を読みユンギアンである先生の分析を受けたいと思ったとか、そういうことを言った筈ですが、憶えてはいません。自分の発言の中で、うっすらと憶えていることがひとつだけあります。自分は精神医学的な診断が嫌いだという話の流れだったと思うのですが「分裂病に欠陥状態があるというなら、神経症にもあると思う」というような内容です。それを面白そうに聞いてくれたという印象が残っています。
その時の河合先生の発言は、大体以下のようなものだったような気がします。「教育分析を受けるというのは、時間が長くかかるし、変化が目に見えないから、つかみどころのない感じのするものだ。そういうもののために毎週新幹線で数時間かけて通うのは大変だ。思い当たる人が東京にいる。あまり有名じゃないけど凄い人だ。河合から紹介されたと言って、一度会ってごらん。料金は僕より高いと思うけどね」
それが近藤先生でした。近藤先生宅を初めて訪問したのは、たぶん10月だったと思います。なんだかすっと引き受けてもらえたなあ、との印象が残っています。あとはほとんど記憶にないのですが、一つだけ憶えている近藤先生の発言があります。河合先生にこんなことを言われましたと、さっきのようなことを僕が話したことに対して、即座に、「そりゃあ河合君らしいね」と言ったことです。
これは大分後になってわかったことですが、僕が河合先生に会えた日のすぐ前に、京都大学の河合先生の主宰する会に近藤先生が参加し、講演か何か、とにかく参加者に感動を与えるような話をしたらしいのです。後にその時の参加者と知り合いになって聞いた話です。その会での印象のおかげで近藤先生を紹介してもらえたのかもしれません。その時に、近藤先生も河合先生に対して、何か感じるところがあったんだろうな、と思います。
初回は対面で、二回目から寝椅子(ベッド)になりました。毎週一回、以後21年続くことになるわけです。ここまで書いて、初回時の近藤先生の言葉をもう少し思い出しました。「感じたことを話すように」というのと「秘密が漏れることは絶対にないから安心して話すように」というものです。その後、自分がセラピストとしてクライエントとの契約が成立した時、僕も全く同じことを皆さんに言っています。