先生が亡くなる直前まで、つまり物理的に分析を受けることが不可能になるまで通い続けたということは、終了にはならなかった、卒業できなかった、ということでもあります。分析の終了について、先生が、「師匠を理解するということだよ」とおっしゃっていたのを記憶しています。1998年の最後のセッションの頃、とても先生を理解出来ていたとは思えません。亡くなられてから13年経つのですが、いまだにはなはだ心もとない感じがします。それでも、その頃と比べて見え方が違ってきていることも確かなので、現時点での先生理解を試みてみることにします。
知的であること、クラシック音楽の鑑賞力が相当深そうなこと、僕が聞いているとネイティブが話しているとしか聞こえない英語力があること、学校経営に長く携わっていたこと、精神分析の歴史の中で一つの流派の創始者(カレンホーナイ)に認められたおそらく唯一の日本人分析家であること、森田療法家でもあることなど、多才というか、色々な面があるので、先生の本質がかえってわかりにくくなっていると言えるかもしれない、この頃そんな風に思うことがあります。
先生の本質は、信仰心の深いところにある、本当の意味での宗教者であるところにある、そう言うのが最も近い気がします。
亡くなったのが1999年2月3日ですが、一月の半ばごろ、先生の秘書的な仕事をしていた根戸内さんから電話をいただきました。先生が私たち夫婦に会いたい(私の妻も先生の分析を受けるようになっていました)とおっしゃっているとのことでした。さっそく病室に二人で訪れると、痩せてはいても張りのある声で、主治医から余命が少ないと宣告されたとの話のあと、「自分には息子がいない。葬式のことを頼めるとしたら、女房の親戚の純ちゃん(小泉純一郎氏)ぐらいだが、彼は忙しいだろうと思う。君にやってもらいたい。」ということでした。その話が一段落した後、「津川君、最近面白い夢を見たんだよ。僕が二つの人生を歩んでいるんだ。一つは政治家の人生。総理大臣になって、この国を変えようと一生懸命働いているというもの。もうひとつは、実際に僕が生きてきた人生なんだ。夢の中で、こっちで良かったと思っているんだよ」とおっしゃいました。
それを聞いた時にはそんな言葉は浮かばなかったのですが、最近、先生が実際に生きた人生は信仰の道だった、と思うのです。
先生の葬儀の時、小泉純一郎氏が参列していました。ガードマンもつけずに一人でだったので、その時はどこの大臣でもなかったのかもしれません。後に小泉氏が総理大臣になった時、先生の夢を思い出し、もう一つの人生を先生に縁のある人が実現したことになったと、ちょっと不思議な気分を味わいました。
先生ご自身が信仰という表現をなさることはほとんどなかったと記憶しています。宗教という言葉もあまり使わなかったと思います。手垢が付いた言葉で、誤解を招きがちなのを恐れたのかもしれません。「我々を超えた大きなものに生かされる」という表現はよく耳にしました。「死ぬまで真実を求め続ける」「60過ぎてからも何回も脱皮を繰り返している感じだ」との言葉も耳に残っています。それらを僕は、宗教的な体験を深める、という意味だと解するのが正しいのではないかと考えるようになりました。特定の宗教の信者であるかどうかもどうでもよかったのだと思います。キリスト教の信者でも仏教者でも、その信仰が本物であるなら、それぞれの体験(境地、感じ方)には共通のものがあるとお考えだったのではないかと想像します。