話すということ | 津川診療所 福島県 福島市 精神科 カウンセリング 精神療法 心理療法 精神分析 カウンセラー

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院長あいさつ

話すということ

治療で話しをすることの意味は?という質問がありました。

 

 話すということを言い換えると、言葉を使って表現する、になると思います。治療にとって本質的に大事なことは、表現することにあるのだと思います。言葉でではなくても、箱庭でも、絵でも、ジェスチャー、踊り、なんでも可能(治療的意味を持ちうる)だと思います。言葉というのは、表現するためのひとつの道具に過ぎない、というのが僕の考えです。ただ、多くの場合に、他の道具より圧倒的に便利で使いやすいとは言えそうです。

 話すこと(言葉を使って表現すること)の治療にとっての最初の意味は、それによってセラピストとの交流が生じる、というところにあると思います。交流が生ずることで、通じた、わかられていそうだ、という感覚が積み重なり、クライエント自身の自己観察力も育っていく、というのが理想ですが、そう簡単に進んでいかない場合も少なくありません。セラピストに対して、傷つけられたと感じたり、腹が立ったり、不信感が生じたり、ということが珍しくありません。そういう時は、そのこともまた言葉で表現し、それによってセラピストのクライエント理解が深まり、結果として"わかられた感"が増すことにつながれば、これもまた一つの道筋です。

 第二の意味は、表現するということ自体が治療的だ、ということです。内面に溜まっていたものを正直に言えた、すっきり出せた感じがする、その時に感じる清々しさは経験しないとわからないかもしれません。近藤先生のご自宅から都立大の駅までの帰り道、そういう感じを味わいながら歩いたことが少なくなかったのを思い出します。つい先日の経験ですが、比較的大量の固めの大便が出て結構すっきりした後しばらくしてまた便意を催し今度は下痢気味の便が少なからず出ました。その時の、気が身体中を走る感じを伴った清々しさ。この感じと、あの時の感じは似ているよなあ、と思いました。

 三つ目は、セッション中の表現が瞑想の習慣につながる、という点です。セッション中に話したことが引き金になって、終了後、後を引く感じになることが多いものです。「あんなことを話して先生にどう思われたかなあ」「ああ話したけど、こう言ったほうが正確だったんじゃないか」「こんなこともあったことを思い出した。今度話さなきゃ。」などの思いとともに、セッション中の気分がすぐには消えません。このことは、言葉によって表現された元のもの(感じていること)への感覚を鋭敏にする為に役立つと思います。

 分析を受け始めの頃、僕は、すぐ消えてしまうのが特徴でした。「軒醒め、バス醒め、家醒めって僕は呼んでるんだ。君は軒を過ぎる(先生宅の軒という意味です)前に醒めちゃうみたいだね」と言われたのをよく憶えています。

 段々醒め方が遅くなり、外側にばかり向かっていた自分の意識が少しづつ内側に向かうようになるプロセスを体験しました。途中で先生から呼吸法を教わったことも加わり、一人になって内面と向き合う時間を取ることが増してきたのは、その延長だという気がします。

 ここでまた近藤先生との会話を思い出しました。「人間の成長にとって表現することが本質的に大事なもの、必要なものだと感じるようになったが、そうすると、ただ座っているだけの禅をどう考えればいいんでしょう」と質問したことがあります。返事は「そんなことを考えていたのか。座るのも表現なんだよ。静かな表現だ。湖だって表現だろう」というものでした。先生の言葉を正確に憶えているかどうかには自信がありませんが、湖が表現だ、との一言で、目からうろこが落ちたように感じた記憶は鮮明です。

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