『はじめまして』を読んだある若い人から、「治療ってなんですか?」という質問を受けました。
『はじめまして』の中で、治療、セラピー、精神療法、精神分析、カウンセリングと、色々な言葉を使いました。これは、ただ言葉を変えているだけだと思ってください。自分のつもりでは、毎日同じことを、ただ一つのことだけをやっています。この人には精神分析を、別のこの人にはカウンセリングを、というわけではありません。
"治療"を定義するとしたら、その人の人間としての成長を援助するものだ、という表現がまず浮かびます。
医療機関を訪れる時には、普通、何かの症状があって、それをなくすか減らすのを目的にしているものだと思います。医療者側は、それらの症状を病気の症状だと捉え、どういう病気であるかとの診断をつけ、その病気を治療する。病気が良くなれば症状もなくなる。それが一般的な治療のイメージではないでしょうか。私の言うところの治療、あるいはやっているつもりの治療は、そういうのとちょっと違うという気がします。
うつという症状があるとします。それをうつ病という病気の症状として見るのではなく、その人の生き方への何かのメッセージだと捉える。そしてそのメッセージが何なのかを、二人で協力してわかっていこうとする、そのプロセスを"治療"と呼ぶ、そんな言い方も出来そうです。メッセージの意味を知ろうし、その人の生き方を検討するということは、その人全体を一人の人間として理解するということにほかなりません。ですから、"治療"という名で呼ばれる場面で、セラピストである私の側がやろうとしていることは、目の前の人を、その人のいるところに自分の身を置いたつもりになって、その人全体を身体感覚的にわかろうとする、それだけだと言ってもいい、という感じです。セラピスト側のわかりかたが深くて正しいものなら、クライエントの側には、通じている、わかられている、受け入れられている、という感覚が生じます。その感覚とともに、自己観察的態度が育ち、自分自身について、感じること、気づくこと、発見することが増していきます。さっきのメッセージの意味も見えてきます。そのことが、自然に、パーソナリティーの変化を、つまりは人間としての成長をもたらします。いつのまにか、受診時の症状は気にならなくなっています。人によっては、さらなる成長を目指して、セラピストとともに自己観察の深化への道を進んでいく、そんな感じです。
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