ホームページのタイトルが『感じる力を育てよう』になっているところにも表れているように、"感じる"ということを強調しているようだが、その意味は?という質問をいただきました。
近藤先生の話は、これからも何度となく出てくることになると思いますが、この質問にも、近藤先生の名前を出さずに答えるのは不可能です。近藤先生の著書に『子供の命に呼びかける』という一冊があります。以前は、『感じる力を育てよう』というタイトルでした。20年前、私のクリニックの開業時、パンフレットを作る必要がありました。分析の時間に「パンフレットのタイトルを『感じる力を育てよう』にしたいのですが?」と先生にお願いしました。正確な言葉は忘れましたが、即座に、「どうぞ使ってくれたまえ」というような内容の返事がかえってきました。パンフレットのタイトルをそのままホームページのタイトルにもしているわけですが、許可を得たとはいえ、まあ言ってみれば盗作です。
近藤先生は、1999年に87歳で亡くなられました。命日が2月3日なので、明日でちょうど丸13年経つことになります。亡くなられる直前、前年の1998年秋まで、21年間、ほぼ毎週、先生のご自宅に分析を受けに通い続けました。先生が"感じる"ということの大切さを主張なさっていたところが、私にとっては、先生の魅力の相当重大な要素です。
"感じる"ことに関しての先生の言葉を、思い出すままに記してみます。「実感することが大事だ」「直接的に感じることが大事だ」「肌で感じる」「痛感する」「内部感覚を磨け」「直観力を磨け」「頭よりハートだ」「ホーナイも、ケースカンファランスの時、弟子たちに、そこでどう感じたかとしょっちゅう質問していた」「道元の言葉に、知解、情解、体解というのがある、体解を目指せ」とまあ、すぐにこれだけ出てきましたが、ここまで書いて、そもそも普段の先生の態度がそうだった、いつも言葉が腹から出てきている感じだった、自分が感じたことや体験したことしか言わない態度を率先垂範していた、ということに思い至りました。
感じることを大事にするというのは、私にとっては信仰のようなものなのかもしれない、という考えが今浮かびました。それが大事であることはそれこそ理屈ではない、大前提だ、当たり前のことだ、という感じです。
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