その一、その二で、出会いと別れの場面を思い出そうと試みてみました。その間の21年間については、書き出すときりがないので、そしてまたこれから他の題で書く時に必ず出てくると思うので、ここでまとめて書くのはやめることにします。
全体的な印象だけを書いておきます。
その前に年齢ですが、僕より38歳年上です。存命ならちょうど百歳ということになります。
21年間、毎週一回、よく通ったなあ、という感慨がまず浮かびます。その間約7年間は、福島県いわき市の病院に勤めていたので、そこから、特急を利用しても、通うだけで3時間以上かかりました。21年間、休んだこともほとんどなかったと思います。先生が風邪などの病気で休みになることも数回しかありませんでした。そういう時は、受付の内田さんから事前に連絡があるのですが、一度だけ、行ってみたら今日は休みだと言われたことがあったのを憶えています。
先生の態度というかたたずまいというか、そういうのが残っている感じがします。暖かいエネルギーをずっと注ぎ続けてくれたというか、歩みの鈍い僕をよくぞまあ待ち続けてくれたというか、そういう表現が浮かびます。さらに、生き生きとしている、力強い、自由、自然、というような言葉が浮かんできます。
自然と書いてみて、今まで先生を自然だと思ったことがなかったなあと気が付きました。そして書いてみると、自然な人だというのがもっともぴったりした表現かもしれないという気がしてきました。津川クリニック開業時に先生が書いてくれた『自然』という書が、僕の診察室にかかっています。最も目に付くところにかけてあります。意識してではなくても毎日目にしている筈ですが、これからは今までと少し違った気持ちで見ることになるかもしれません。
もう一つ僕にとって面白く感じることは、セッション中の先生の饒舌さです。こちらの連想を引き出そうという意図もあるのでしょうが、僕が少し黙っていると、先生のほうが話し始める、という印象が残っています。しゅっちゅうではありませんが、もっとこっちが喋りたかったのに、と思うこともありました。
そういう時、ご自身が感じたこと、時にはプライベートな話も結構出てきました。「今度の休みに三陸に行って来たんだよ。海を見たら急に泳ぎたくなってね、水泳パンツに着替えて岩の上から飛び込んだんだよ。気持ちがよかったねえ。」という例を今一つ思い出しました。他にも沢山ありますが、繰り返しになる(別の機会に全く同じ話が出てくる)ことがほとんどなかった、というのを不思議に感じていました。他の人に同じ話をしていたと聞くことはあったので(僕が受け始めたあと、知人や後輩の相当人数が先生の分析を受けるようになりました)、この話をこの人にしたという記憶というか感覚というか、そういうのがあったんじゃないかと思います。
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