不安 | 津川診療所 福島県 福島市 精神科 カウンセリング 精神療法 心理療法 精神分析 カウンセラー

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院長あいさつ

不安

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不安について書いて欲しいとのリクエストがありました。

 

 不安について、僕が一番言いたいことは、「不安と友達になれ」です。不安と一言で言っても、一様ではありません。強い、弱い。浅い、深い。頭で考えることとの結びつきの強いもの、身体で感じるもの。色々な不安があることは一応わかった上で、あえて大雑把に「不安と友達になれ」と言いたい気持ちがあります。「友達になれ」とは、排除しようとするな、一緒にいることを目指せ、長く付き合うつもりになれ、何かのメッセージを与えてくれるものだと捉えろ、などの意味合いです。

 不安というのも感情の一つだと言っていいと思います。怒り、喜び、悲しさ、悔しさ、嫉妬、楽しさ、幸せ感、絶望感、孤独感など、色々な感情の中で、不安と,不安に近縁の緊張や恐怖は、特別なもののように思えます。どのような意味で特別か、そう考える理由を少し詳しく説明してみます。

 僕は、分析を受けるまで、不安を体験したことがありませんでした。もちろん、人前に立たなきゃいけない時とか、試験前とか、そういう時には不安や緊張を感じていました。ここでは、そういう不安とは別の、個人的不安、主観的不安のことを言っています。今、存在論的不安という言葉を思い出しました。そうも言えるのかもしれません。分析を受け出して間もなく、不安を自覚するようになった頃、近藤先生から「今感じている不安は最近現れたものなのかそれとも以前からあったものか」と質問されました。そう質問され、自分に聴いてみると、自覚していなかった頃にも不安が存在していたことは間違いないと感じました。その感じが新鮮というか、ちょっと不思議だったのを憶えています。それはともかくとして、それ以降は、ただ不安に耐えているか、自覚しているかしていないかの違いだけで結局は不安を紛らわして過ごすか、そのいずれかの時間がほとんどでした。そのうちに、たまには不安に静かに向き合えるようになり、その時間が少しづつ増えてきました。いずれにしても、不安がほとんど常に存在し(意識から離れない)ているには変わりなく、不安との付き合いが自分の人生だったと言いたくなるぐらいです。そして、不安がなければ自分は変わることが出来なかったと、確信的に言える気がするのです。

 「不安というのは氷河のクレバスのようなものなんだよ」これは30年以上前の近藤先生の言葉です。氷河の下には大地があり、クレバスは大地に至る通り道だ。それと同じように、不安は無意識を掘っていくためのトンネルのようなものだ。そういう意味だと思います。今述べた僕の個人的体験からも、大いにうなづける感じがあります。このたとえを使うと、自分の変化を次のように言えるかもしれません。分析を始めたころは氷河の上を歩いていて、クレバスにはまらないように気を付けていた。不安と付き合っているうちに、大地に届くところには至っていないが、「そうか、自分の心は氷河のように凍っているようなものなんだ」と感じるようになった。

 次は少し理屈が入ります。人が生きていくために必要な活動を、意図してやるものとそうでないものに分けると、呼吸という活動には特別な位置を与えることが出来るように思います。眠っている時(無意識の時)、原則としては、見たり、聞いたり、歩いたり、食べたりは出来ません。しかし、心臓は動いているし、消化活動も行われています。呼吸もしています。起きている時(意識がある時)、見たり、聞いたり、歩いたり、食べたり、やろうと思えば出来ます。しかし、心臓を思い通りに動かすことも、消化活動をコントロールすることも出来ません。呼吸はやろうと思って出来ます。意識的にコントロールできるもので、かつ、コントロールを離れても自動的に機能できるもの、呼吸以外には思いつきません。呼吸が特別だというのはそういう意味合いです。意識と無意識との仲介役を果たせそうです。

 呼吸を意識する。意識してゆっくり吐き、吐き切ったところで、力を入れずに空気が入ってくるままに吸い、その間の息の出入りを味わう。近藤先生から教わった呼吸法です。「内部感覚を磨く(自己観察力が増す)ために役に立つから是非続けるといいよ」とすすめられ、心がけています。

 出る息入る息に注意を向けることと、さっき書いた、不安に静かに向き合うというのは、僕にとっては、実は、ほとんど同じことなんです。全く同じではなくほとんどと書いたのは、息の出入りに注意を向けていると、いつのまにか不安が消えてしまうことがあるからです。さっきのようなゆっくりとした呼吸を3,40回続けると、手足の先が暖かくなり、山歩きをしている時のような清々しい気分になります。

 不安を自覚するようになり、不安になんとか耐えているところから、呼吸法の助けを借りて不安と静かに付き合えるようになってきた。この変化と並行して、内部感覚が磨かれてきた気がする。これが、不安を特別なものだとみなす理由です。

 僕の経験からも、不安が強い時には、呼吸法をやろうという気になりません。ただ耐えているだけしか出来ません。でも、ただ耐えているだけで、意識と無意識との間の疎通を維持していると感じます。そのうち呼吸法が出来るようになるのを信じて、待っていて下さい。

 

 

 

 

 

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