精神分析で性格を変えることは可能か、との質問をいただきました。
『治療って?』を読んでくれた上での質問だと仮定します。『治療って?』の中で、治療の目標について、人間としての成長、パーソナリティーの変化、などと述べています。そのような表現で意味するものとはつまるところ性格が変わるということか?という質問だと解して答えることにします。
変化を目標にするわけですが、その変化とはどんなものなのか、まずは、抽象的に、そして対比的な言葉を使って表現してみます。
強迫性が減って自発性が増す。浅いところが減って深さが増す。幻想性が減ってリアルさが増す。依存性が減って自立的になる。
これらは全て同じ事を言っていますが、強迫性、自発性の対比が最も説明に便利なので、それを使って、次は、なるべく具体的に述べてみます。
僕は山歩きが好きです。東京近郊の低山を一人で歩きます。その時、本当に自分のペースで歩いているわけではないんだなあと感じます。自分に取り付いているものに歩かされている部分があると感じます。そこを言葉にすれば、早く歩かなければならない、急がなければならない、という強迫性です。
山歩きの時にははっきり感じるこの強迫性が、日常生活でもほぼ無意識のうちに働いているのは間違いないと感じます。
先日、髭剃りをしている時、いつもと感じが違うことに気が付きました。石鹸を顔につけた後手を洗っている時、いつもより丁寧なんです。その手をタオルで拭く時も、タオルをタオルかけにかける時も、その後、シェイバーを使っている時も、丁寧で、強迫的でない感じ。本来の自分のペースでやっている感じ。一連の動作を楽しいと感じました。染み付いていてなかなか離れない、早く行動しなければならないという強迫性から、束の間ではあれ、解放され自由になった瞬間だったと考えています。
このような強迫性の染み付きは、程度の差はあれ、すべての人にあるのではないでしょうか。言葉にしにくいものもありますが、言葉にしやすいものを並べてみると、「早くしなければならない」「間違いのないようにしなければならない」「結果を出さなければならない」「勝たなければならない」「もめ事をおこさないように振る舞わなければならない」「嫌われないように注意しなければならない」ほかにも沢山ありますが、このぐらいにしておきます。
僕の例、「早く行動しなければならない」に戻ります。分析の経過を通じて、これを感じる度合いが増し、少しづつ減ってきました。分析を受け始めたころの僕は、どこに行くにも、自分で車を運転し、そうでなければ、ちょっとした距離でもすぐにタクシーを利用していました。電車に乗ったり、歩いたりということがほとんどありませんでした。そもそも山歩きを好きな人の気持ちなんて全くと言っていいぐらいわかりませんでした。その頃までの僕を良く知っている人は、今の僕を知ると驚くかもしれません。休みの日は山に行き、タクシーに乗るより電車を好み、街の中もよく歩きます。そしてこの変化が「早く行動しなければならない」との強迫性と本質的なところでつながっているのは、僕には、疑いがありません。
自分の例を使って、変化の中身について、こんな感じだというのを述べてみました。こういうのを性格の変化と呼ぶかどうかは、僕にとってはどうでもいいことです。こう変えようと思っていたわけではない、やっているうちにこうなった、ということを付け加えます。
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