虐待の連鎖 その二 | 津川診療所 福島県 福島市 精神科 カウンセリング 精神療法 心理療法 精神分析 カウンセラー

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院長あいさつ

虐待の連鎖 その二

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 書くことが沢山あるような気がしていたのですが、前置きのつもりの『その一』で、もう後はほとんど残っていないという気持ちになってしまいました。この質問への答えは、今までも繰り返し述べてきた、という感じです。

 それでは身も蓋もないので、ここで新しく出てきた表現と、今まで書いてきたこととの関係について述べてみます。

 親の呪縛から解放されているつもりになっている人、あるいは、自分は親から精神的に独立していると思っている人。そういう人って、結構少なくないんじゃないかという気がします。理由を質問すると、反抗期があったから、親を嫌って離れて暮らしているから、経済的に独立しているから、親とは別の職業を選んだから、親の世話をしているから、などの答えが返って来そうです。

 僕は、そもそも、今のように、目に見えるものによって判断できる性質の問題ではないと考えます。

 これまで、自己中心性、ごうまんさ、主観的価値観などと、色々な言葉を使ってきました。そういうもののない人はいないし、生き延びる(サバイブ)ために必要なものだとも思います。生き延びるためには親に見捨てられないようにするしかないのが人生の最初期の決して短くない期間ではないだろうかと、『その一』で述べました。この時期が、つまり親の呪縛の始まる時期が、それぞれの、自己中心性、主観的価値観、強迫性などが決まっていく時期でもあると思います。それらが親の影響を受けずに成立することは有り得ないし、極論かもしれませんが、それらは親の呪縛そのものである、とさえ言えるように思います。

 目に見えるものによらず、そしてこのように親の呪縛を捉えるなら、ほとんどの人間が、親の呪縛から解放されないまま(親離れしないまま)一生を過ごし、また、世代を超えて繰り返される、つまり虐待の連鎖が続いていく。僕にはこれが現実の世の中のありように見えます。

 輪廻転生という言葉が浮かびます。輪廻転生を精神分析的に理解する試みとして、上記の記述は見当はずれでしょうか?仏教の目指すところが輪廻転生からの解放であり、それを解脱(悟り)と呼ぶとの考え方は一般的なものだと思います。もし先ほどの理解が許されるなら、仏教と精神分析の目指すところが全く同じだと言いやすくなる気がします。

 いずれにしても、「親の呪縛から解放されて命を育てることが出来ますか」との質問への答えは、「出来ると信じるしかないと思っている」です。あるいは、「その道はもうずいぶん昔から用意され示されている」です。

 ここでまた、近藤先生の言葉を思い出しました。「あせらず、あてにせず、あきらめず」です。先生が創立した女子高校の、いはば校訓のような言葉です。親の呪縛から解放される道を歩んでいくための心構えとしてぴったりだと思います。「あせらず」と「あきらめず」は、実行するのは簡単ではないにしても、わかりにくくはないと思います。「あてにせず」について、僕の解釈を付け加えます。他人の援助や評価をあてにしないようにしようというだけではなく、これだけ頑張ったんだから結果が得られるはずだというような自分の頑張りや努力をあてにすることへの警告も含まれていると考えます。

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