虐待の連鎖 その三 | 津川診療所 福島県 福島市 精神科 カウンセリング 精神療法 心理療法 精神分析 カウンセラー

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虐待の連鎖 その三

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 質問文の中の、傷から傷へと受け継ぐことになりませんか?というセンテンスが気になります。どう気になるのかと言うと、比較的最近考えている、心の傷についての仮説が刺激され、表に出してみたくなるのです。まだ熟していないとの感覚があるので躊躇いますが、思い切ってその仮説を披露してみます。

 『虐待の連鎖 その一』で、幼少時期、我々の記憶にない頃、我々の自発性に対して親がいつも適切に反応してくれていたとは考えにくい、と書きました。我々の自発性と母親(あるいは母親の代理)のレスポンスとの間にズレが生じる、と言い直すことも可能だと思います。親の自己中心性が本質的に関与しているとすると、自己中心性というのはパーソナリティーの一側面ですから、そのズレは、ある程度いつも一定したところに生じるとの想像が許されると思うのです。そして更に、子供の無意識の中にそのズレがある一点として刻印されることになるのではないかとの想像が膨らみます。すべての人にとってそのような一点が存在し、ここが心の傷の元ではないか、これが仮説の第一です。

  これを思いついたのは、ある40代の男性との治療経験からです。

 うつが基本的な症状でした。初診時に僕が話した「うつを自分の生き方へのメッセージだと捉えるのがいいと思う」との発言に感じるところがあったと、その後の治療経過の中で何回か繰り返し述べています。つまり、内面に向き合おうとの気持が最初から強くあった方だと言っていいと思います。その方が、平均すると4,5回に一回ぐらいの頻度で、セッション中急に込み上げて絶句するのです。涙をこらえ、しばらくすると話し始めます。そして、「何故泣くのか自分でもわからない。謎です」と言うのが常なのです。でも、心の中のどこか深いところに触れているとは感じるようです。

 絶句する時の話題は実に様々なのですが、大きく三つのグループに分けられそうだと感じました。一つ目は、大切な人との別れに関する話題。二つ目は、評価されたい人にわかってもらえないと感じた最近の出来事や過去の思い出。三つ目は、いわゆる洞察的な話題です。この方の話に耳を傾けていると、僕には、これらの話題が全て、心の中の深いところに刻印されているある一点に触れている、と感じられたわけです。

 仮説の第一が、このような一点がすべての人に存在し、それが心の傷の元ではないか、でした。第二は、仮説第一を仮説ではないと感じること(どうやら本当にそうだなあと感じること)が、我々を超えた大きなものに生かされているという体験に隣接しているのではないか、というものです。

 すべての人に存在していると仮定した心の傷の元を、僕は今、潜在的孤独感と呼んでいます。仮説第二を、潜在的孤独感が潜在的でなくなればなくなるほど(さっきの方の言葉を借りれば、謎だという感覚が減れば減るほど)我々を超えた大きなものに生かされているとの体験をするチャンスが増すのではないか、と言い換えても同じです。

 最後に、この二つの仮説を証明するためにも、または僕のこの仮説が間違いであるにしても、とりあえず触れておきたいことがあります。それは、現在の人間関係の中での傷つき感や嫉妬を自覚することの大切さです。傷付きや嫉妬をそれとして感じ、引き受ける(受け入れる)事が出来るかどうか、この体験の重要さを強調してもし過ぎることはない気がします。そして、そのことが潜在的孤独感に至る大きな第一歩であるような気がして仕方がないのです。

 

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