完全主義心性を口語的な日本語で表現すると、あれもこれも(ああでもないこうでもない)、が最もぴったりすると思います。
"付け込まれないようにしなくちゃ"、"隙を見せないようにしなくちゃ"、"絶対に失敗しないぞ"とか、他にも浮かびますが、結局、"あれもこれも"に収斂していく気がします。"あれもこれも"に代表させていいのではないかと考えます。
買い物には"あれもこれも"がよく表れます。本でいえば、シリーズものの抜けがないよう揃える方に出る場合と、あらゆるジャンルをカバーしようという方に向かう場合と、両方ありそうですが、いずれにしても"あれもこれもとり揃える"がキーワードです。アニメのキャラクターのフィギュアを全部揃えたり、ラーメン屋の食べ歩きを全店制覇しようとしたり、食器が増えて収納場所がなくなってしまったり、色々な例が思い浮かびます。
限定品に弱いというのも同じ心理のようです。あれもこれも全部揃えなければならないという観点からすると、それ以外にはないと言われると、すぐに手を出さずにいられなくなるのは想像に難くない気がします。
どれを選んでいいか判断できないのも同じ心理です。経済力が気にならなければ、全部取りそろえる方に向かうと思いますが、節約しなければならない条件の下では、"あれもこれも"が"ああでもないこうでもない"になります。どうやっても取り揃えられないことが最初からわかっている時にはそうならざるを得ないとか、節約という条件も含めて"あれもこれも"を満たそうとするとそうなるとか、色々な説明が浮かびます。オールオアナッシングを別に言うと″あれもこれも"と"ああでもないこうでもない"になる、と言ってもいいかもしれません。
一見、一つのことに打ち込んでいるようでも本当の意味で集中しているわけではない、言ってみれば完全主義的な集中と呼びたくなる心理状態があると思います。この二つを区別しようとする視点が大事だと考えています。完全主義的な集中では、意識性が強く、力が入っているのですが、最中にはそれがわからず、ある程度長い時間が経過して、どうも本当の集中ではなかったようだとわかってくることがあります。集中の対象が持続しません。ある程度その対象に打ち込むと、あきて、次に移ります。そしてそれが繰り返されます。つまり、"あれもこれも"が目にみえるようになってきます。一つのことに打ち込んでいるように見える時も、その一つのことの中で、あれもこれも細部まで揃えようとする心理が働いているに違いないと考えます。
木を見て森を見ずということわざがあります。細部にこだわって全体が見えないという意味でしょう。"あれもこれも"だと、直観力が働きにくく、ポイントをつかむのが難しくなり、結果として、全体を見るのが困難になります。
"あれもこれも"が将来の事に向かうと、想像力が駆り出されます。隙のない成功イメージを想像し、そのイメージをなぞって予行演習をしたくても、何しろ先のことなので、不確定な要因があります。あの場合はどうだろうこの場合はどうだろうとありとあらゆる場合にそなえなければなりません。必ず、最悪の事態を想定します。"あれもこれも"を満たしたいのに、その保証を得るのがどうしても無理な場合、"ああでもないこうでもない"になるのは、節約という条件のもとでの買い物の場合と似ています。
少し横道にそれます。原発の事故の時に、危機管理にとって重要なのは最悪の事態の想定だ、という意見をよく聞きました。その想定が甘かった、想定が厳しければ防げたはずだ、という文脈で述べられることが多かったと記憶しています。その意見に違和感を感じました。僕は、事前にいくらシミュレーションをしても絶対の安全が保障されることはない、原発に限らず、そもそもこの世の中に絶対の安全保証はあり得ない、地震や津波をそのことへのメッセージだったと捉えたい、そんな感じを持っています。
さらに横道にそれます。この違和感は、いじめの問題でも感じます。いじめによる自殺を予防しなければならないと発言している人の態度にです。こうしていたら防げていたはずだと言う時、この世の中に絶対の安全保障があるかのように発言をしている人と似たものがあるのを感じます。幻想だし、人間の行為を過信していることにならないでしょうか。ごうまんさと言ってもいいでしょう。それは、いじめっ子がいじめ行為を行う時にあるごうまんさと、本質的に同じものだと思うのです。
先のことをシミュレーションする心理に戻ります。絶対に失敗しないことを求める気持ちから最悪の事態を想定したはずなのに、いつのまにか想像上の最悪の事態が独り歩きし、そのイメージが不安をさらに増強させる、いわゆる悪循環です。この心理には日々の臨床の中で実によく遭遇します。保険をかけて安心するつもりが、結果として逆に不安が強まるとの見方も出来るので、なんとも皮肉な感じがします。この悪循環から抜け出すためには、"あれもこれも"の執着性が薄らぐ必要があるようです。
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