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院長あいさつ

依存

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 依存支配型的我の描写に進む前に、依存についての僕の考えを書いておく必要がある気がします。

 依存について最も言いたいことは、依存即自立と言いたくなる依存がある、ということです。健康的な依存とか、信頼につながる依存などと呼んでもいいと思います。

 『仮説』で、治療というものは第一プロセス第2プロセス第3プロセスが有機的に関連しあいながら進んでいくとの説を述べました。依存という言葉を使えば、同じことをきわめてシンプルに言えると思います。治療とは健康的な依存に向かって進んでいくものだ、と。

 健康的な依存とはどのような依存か、ということになります。治療というのは、自分の気持ちを表現していくものです。浅いところから深いところへ言葉で自分を裸にしていく、というような言い方も可能だと思います。すっかり裸になれた感じ、隠し事が一切なくなった感じ、心を掘り尽くした感じ。それは、セラピストにすっかり受け入れられた感じ、委ねられる感じ、任せられる感じ、まな板の上の鯉という心境、でもあると思います。健康的な依存をそのように定義したいのです。

 そのような依存が治療の中で起きれば、そのことがイコール自立に向かうベースになる。これは説明が要らないと思うのですがどうでしょうか。

 真の信頼関係とは 、お互いにこのような依存が起きている状態を指す、と言っていいのかもしれません。

 しかし、そのような依存が生じることはほぼ不可能だ、というのが現実だと思います。人間というものは本当に疑り深く傷つきやすいものだと僕には感じられます。クライエントは、この人は本当に自分を受け入れてくれるのかとセラピストを試し続け,意識的に正直であろうとしても、心底からはなかなかなれない。僕自身、21年間近藤先生のところに通っても、自分をすっかり裸にすることができなかった、と感じています。

 それでも、治療の中でそこに向かって少しづつ歩んでいくことが間違いなく人に変化を生じさせます。完璧ではなくても、少しでもそちらに向かって進んでいくことに意味があると思います。依存のあり方がより素直な、より正直、率直なものに変化していくそのプロセスが大事なんだ、と言っても近そうです。

 そして理論の上では、理想型としての健康的な依存を想定するのが便利で実用的だと考えます。

 依存についての僕のこの考え方は、この世の中の母子関係のすべてを虐待と呼んでいいとか、自己肯定感のほとんどすべてがナルティシスティックなものだ、などの考えと共通しています。普通の人間生活で生じる依存関係には、例外なく健康的でないものが含まれています。依存という言葉をことわりなしに使う時、それは健康的でない依存を意味することになります。

 完全主義とナルシシズムは一見すると正反対だが広い意味ではどちらもナルシシズムだとどこかに書きました。これは依存と孤立にも当てはまります。孤立は依存の正反対のようですが、広い意味では依存です。人に向かっていかない、積極的には依存を求めないだけで、見放されないために(依存を確保するために)人から離れるわけですから。消極的な依存と言えばいいでしょうか。

 以上のような意味での依存、一般的な依存、健康的だとは言えない依存、を特徴づけるものとして、僕が気に入っている定義があります。それは、一致を求める、というものです。期待に応えようとするの(いわゆる依存)も、相手を自分の思うとうりにするの(支配)も、表面的に合わせるの(こび)も、すべて一致を求める気持ちに裏打ちされていると思うのです。

 治療のプロセスの中で、依存の自覚というのは重要なステップです。ああ自分は結構依存的なんだなあ、こういうところにそれが出ているんだなあ、との実感は、転換点になることが多い気がします。自分の中に他人(他人のある面)との一致を求める気持ちがあるかどうかと探す視点。自己観察の為に役立つ場合があると思います。

 

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