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正直について

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 "正直"っていうのは、僕にとって、何か特別に気になる、見過ごせない単語です。僕にとって重要なものは大抵近藤先生からだという感じがあるので、近藤先生がこの単語をよく使用していたかどうかを思い出そうとしてみましたが、特に頻度の高いものではなかった気がします。正直という言葉に手垢がついている感じがあり、道徳臭みたいなものが付きまとうから、誤解を呼びやすいとお考えだったのかもしれません。正直という言葉を拠りどころにする必要性を感じないでいられる境地に至っていたとも考えられます。

 今拠り所と書いてみて、僕にとっては、正直であろうとすることがまさに拠り所だったし、今もそうだ、と思い当たりました。

 感じていることをできるだけ正確に表現しよう。出来るだけ借り物でない、自分にとってぴったりする表現を選ぼう。嘘をつかないようにしよう。一言で言えば、正直でいよう。そういう意識を持ち続けると決め、そんなつもりで日常生活を送ってきました。

 そうしてみると、また嘘をついちゃった。その場の勢いで思ってもいないことを言っちゃった。ちょっと大袈裟に言っちゃった。あの時嘘をつくつもりじゃなかったけど今考えてみると言いたいこととは違っているなあ。あの場面では言ったほうがいいことだったのに隠しちゃったなあ。要は、正直になれなかったなあということですが、そう気づかされて胸の痛む思いをした記憶が数限りなくある気がしてきます。

 正直でない態度を取っていることに自覚的でない場合も少なくないに違いありません。

 一方で、嘘かどうかというのはそんなに単純なものではない、という感じも生じます。自分が感じていることを話す時には、どうしても事実関係の説明が必要になります。その際、その事実が客観的事実と必ずしも一致しない、食い違う。形容詞とか数字とか、そこら辺り、事実とちょっと違うことを言ってしまう。ほとんどの場合がそうだと言っていいような気もしますが、これをすべて嘘と呼ぶかどうか。正直でないとするのが適切か。白髪三千丈というのは李白の詩だったと思いますが、むしろ客観的事実と違った表現のほうが心的事実には正直な場合があるのではないか。

  ずいぶん昔のことになりますが、友人が酒酔い運転で逮捕されました。客観的な証拠は揃っているのに、飲んでいないと言い張り、弁護士の説得にも応じないと聞きました。その時、直観的に、彼にとっては飲んでいないのが心的事実であるに違いない、という気がしたことをよく憶えています。その時の僕の直観が正しかったかどうかはともかくとして、でも、殺人を実際には犯しているのに、本人にとっては犯していないのが正直だ、というようなことってあり得る気がして仕方がないのです。

 嘘か正直かというのがなかなか一筋縄ではいかない例として、こんなこともあると思います。ひところ僕は、同僚や従業員から、「先生は正直ですね」と言われることがよくありました。そう言われると、うれしい気持ちになると同時に、僕に騙されているな、というような思いが浮かんだものでした。上述のようにちっとも正直じゃない場合が沢山あるからというだけでなく、自分の正直さに防衛性があると感じるからです。言わなくてもいいことをあえて晒そうとするというか、露悪的というか、不自然な正直さと言うのがいいかもしれません。

 ごく最近、呼吸法をしている時に、そうか正直っていうのはこういうことなんだ、とわかった感じがありました。

 下腹部の不安に促される感じで呼吸法を始めました。呼吸法をすると、どうしても不安に向き合うことになります。どうしてもというのは正直でない気がしてきました。場合によって不安に正面から向き合える時がある、と言ったほうが嘘が少ない。その時はそうなって、しばらく続けていると、スーッと身体が楽になる感じを味わいました。心身脱落という禅語が浮かびました。その時、そうか、正直っていうのは真底自分に向き合うっていうことなんだ、とわかった感じがしたのです。

 そう思ってみると、自分の中でいろいろとつながってくるものがあります。まだ言葉にできない感じですが、あえて一つだけ書いてみます。思いつきをどう捉えるかという問題です。普段しょっちゅう、クライエントに、思いつくままになんでも話してくださいと言っています。思いつきは無意識を掘っていくための有力な武器だという意味で重要なものであることは間違いないと思います。"考え"を話すより正直度が高い、とも言えそうです。でも、思い付きの多くは、口から出まかせという表現が示すように、嘘八百に通じている感じ、つまりは"正直でなさ"も内包しています。

 さっきのわかった感じの後、思いつきが自分に向き合おうとする気持ちに伴われていればそれは正直と呼んでいいんだ。あるいは、向き合うことでそれが自分の深いところに根差しているのを発見すればそれをもう思い付きと呼ばなくてもいい。というように、矛盾が解消された感じになれたわけです。

 

 

 

 

 

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