前回、『依存支配型 その二』で、"配慮"は目に見えやすいが、"こび"は、気を使っているのかいないのかがわからないような気遣いだ、と書きました。そう書いてみて、"こび"についてはまだまだ書き足りていないなあ、という感じがしてきました。そして、近藤先生との分析の中で明確になった自分自身の"こび"についても少し触れてみたい、という気持ちが生じました。
"配慮"が、相手から認められたい、好かれたい、嫌われたくない、という気持ちに裏打ちされているとすると、"こび"は、相手に必要とされたい、不必要な存在だと思われたくない、という気持ちに裏打ちされている、と言うのがいいような気がしてきました。
省略し単純化して繰り返すと、好かれたいが"配慮"で、必要とされたいが"こび"。
こう書いてみると、好かれたいと必要とされたいの違いってはっきりさせるのが難しいよなあ、との感想がまず浮かびます。I love youとI need youって揃いで出てくるよなあ、との連想も浮かびます。
でも、この微妙な違いに重要な意味がある、というのが僕の主張です。
そこで今回は、"こび"の特徴を改めて述べることで、違いをより際立たせることを目指してみます。
好かれたいより必要とされたい。仮に好かれなくても必要な存在ではありたい。それも無理なら、せめていらない存在だとは思われたくない。邪魔にならないように片隅に置いておいてもらえればそれでいい。そんな感じ。
今の記載の順番を逆にすると、"こび"の発展の様子を辿ることになるのではないかと考えます。まず、母との間で生じた傷つき感を呑み込む時の気持ちを想像してみます。僕の言うところの潜在的孤独感の成立です。お母さんの邪魔に(迷惑に)ならないようにお母さんの気に障るような自分の本音を丸ごと呑み込むから、せめてそばに置いてほしい。言葉のまだない幼児の気持ちは実はそんな表現が近いものではないか。次に、お母さんにとっていらない存在ではないと認めてほしい、そのための努力は惜しまない、と続いていく。更に、お母さんにとって自分の存在がなくてはならないものになって欲しい、まで進んでいく場合がある。そんな自分を好きになってくれたらそれはもちろん嬉しい、という気持ちが大抵は伴っている。
邪魔にならないように片隅に置いておいて欲しいと書いて、『孤立型 その三』で"その場しのぎ"について書いた時の例を思い出しました。台風に直撃された一軒家という例です。重なっている感じです。ほぼ同じことを言っています。ひっそりと息をひそめてとても自由には動けない感じ。
発生時のその感じ、つまり、今にも消えてしまいそうな感じ、滅びそうな感じが、"こび"がその後うまく機能するようになってもどこかにつきまとう。はかないという形容詞が似合う感じがある。"こび"の特徴として"はかなさ"を挙げることが出来るのではないか、と言おうとしています。
はかなさからの連想だと、僕には何故かピエロがすぐ浮かんできます。ピエロというのは一つの職業ですが、ピエロ的な職業というと、次に、太鼓持ちが浮かんで、サーカス、旅芸人、河原乞食、露天商、博徒、水商売、と連想が拡がりました。すべて、社会秩序の本流には組み込まれていないという共通点を有すると思います。
こび的気遣いは、そういう職業に親和性を持つ、と言っていい気がします。
僕の"こび"が最も華々しかった頃、僕の中での理想イメージは、飲む打つ買うの三拍子揃った人間、というものでした。一升飲んでも乱れず、賭け事に強く、多くの女性と付き合う、というようなイメージに憧れていました。ある程度実現できていたと今から振り返っても思います。そんなテーマについて話し合っている時、近藤先生から、「飲み屋街のネオンサインみたいだね。夜は華やかだ。でも、昼間行くと、薄いし、裏は空っぽで何もない。」と言われたのをよく憶えています。きついことを言うなあと強い衝撃を受けたと同時に、うまいことを言うもんだ、ピッタリだ、という感じも生じた記憶があります。自分を魅力的に見せようとする"こび"の一つの表現型として、はかなさが良く出ていると言えそうな気がします。
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