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院長あいさつ
 僕には趣味がほとんどありません。ひと頃は毎週山歩きをしていましたが、この頃は山に行きたい気持ちがそれほど起きなくなりました。現在唯一趣味と言えそうなのは囲碁です。それも自分で対戦するよりプロの碁の観戦が主です。ネット中継を、解説者や高段会員が出してくれる参考図を見ながら、また、自分でも検討図を作ったりしながら観戦するのが楽しみです。プロの打つ一手ごとにAIが評価値を出すのも面白い。

 AIと言えば、数年前、ついにAIのアルファ碁が世界ナンバーワン棋士を破りました。現在、AIは、トッププロが2子を置いても勝てないぐらいに強くなっています。20年ぐらい前は、ネット碁のランキングで級位者の僕でも、コンピューターソフトにゆうゆう勝てていましたから、その進歩は驚くべきものだと感じます。

 このブログのどこかに書いた記憶があるのですが、僕は、自分の精神分析家としての成長と囲碁が上達するプロセスとを比べて、そこに共通点があると感じています。囲碁の手筋や急所が見えてくる感じとクライエントの防衛や思い込みが見えてくる感じが似ていると感じたからです。ここまで書いたら、囲碁で級位者だとすると分析家としてもその程度か、そう思われたらかなわんなあ、との警戒心が生まれました。僕の勝手な想像ではありますが、その想像上のツッコミに対して、上達する時の共通点と、どの程度上達しているかは別の話だ、と反論しておきたいと思います。

 腕が上がってくるプロセスで共通する、今まで見えなかったものが見えてくる感じ、感じなかったことを感じられるようになる感じ。要は、感じる力の増大です。これと、AIのディープラーニングとを比較するとどうなんだろう?ディープラーニングは人間の神経細胞(ニューロン)の仕組みを模したニューラルネットワークがモデルになっているのだそうです。感じるということに神経細胞が関与しているのは疑いない。だとすると似たようなものだと言えるのだろうか?人間が感じる力を育てていくこととAIのディープラーニングは同じようなものなのだろうか?

 コンピューターや脳科学についての知識が不十分だというのがその一つの理由ですが、説得力を持った丁寧な言い方は出来ません。が、この問いへの答えは「そんなの違うに決まっている」です。感じる力を育てることとディープラーニングとは、どこか本質的なところで全く違う成長の仕方だと僕の直観が言います。AIが色々なところで人間を追い抜くのは時間の問題だと思います。でも、AIがどうしても及ばない(タッチできない)領域があるのもまた間違いないと感じます。その領域の代表として真っ先に思い浮かぶもの、感じる力を育てること、そして育った先にあるもの。

 AIが囲碁のトップ棋士を負かしたのはつい数年前だと書きましたが、将棋ではもっと前からAIの方が人間より強くなっています。将棋界での最近の話題は現在高校生の藤井聡太7段の大活躍だと思います。囲碁界では昨年、19歳の芝野虎丸名人が誕生しました。二人ともAI世代の申し子と呼ばれることがあるようです。AI世代の申し子と呼ばれながら、二人とも、他の棋士達よりあまりAIを使った勉強法を取り入れていないという情報もあります。その情報の真偽はともかくとして、僕が注目しているのは、二人に共通するものがある感じがするところです。

 ただ好きでやっているという感じ。気負いが少ない感じ。そして謙虚さがある感じ。この感じが際立っているように感じるのです。この感じは、二人の偉大な先輩達、国民栄誉賞組の、将棋の羽生さんや囲碁の井山さんにも感じます。でもこの若い二人には、先輩たちに負けないぐらいそういう側面がある。僕にはそう感じられてなりません。そして、そこが、感じる力を育ててその行き着く先に抱く僕のイメージと重なるのです。

 精神分析は人間としての成長を目指すためにあるものだ、というのが僕の基本的な立場です。成熟した人間とは感じる力が十分に育った人間だと言い換えることができると考えています。何回も同じ事ばかり繰り返し述べていますが、それは、我々を超えたものに生かされているという深い実感に至ることです。そういう人間がいたとして、そういう人に出会ったら、無心に物事に取り組んでいて、自然で、そしてちっとも偉ぶらないなあ、というような印象を持ちそうな気がするのです。僕が近藤先生に抱いた感じを述べているといってもいいです。

 先ほどの若い二人は、年齢の割にとても成熟度の高い人間だということにならないでしょうか。多くの場合は年を取るにつれてようやく目が向いていくような、人間にとって基本的に大事なもの、宗教性、の顕現度の高い人間だと言えるのではないか、僕にはそう感じられます。そしてそういう人間が、AIがすでに人間を追い越している分野で、AIの申し子と言われながら頭角を現している。そこに何か皮肉な感じを感じると同時に、時代の面白さとでも言いたくなるものが出ている感じがするのです。我田引水かもしれませんが、僕の感じる面白さをもっとはっきり言うことにします。AIが進歩していくのは間違いないこれから先、精神分析(感じる力を育てるための援助法、真の宗教性の顕現を助けるもの)へのニーズが高まる時代が到来する。そんな予感がするのです。

 

 

 

 

コメント一覧

(津川先生と話してみたい。)
AIと人が、なにか違うと思うのは、情報と情緒の違いでしょ?と思う。
情緒を情報化、プログラミング言語化するのは難しいと思うから。

プログラミングが流行っているのもあって、仕事でデザインを考えたるためにAIの開発を少しやりました。それが意外とおもいしろい事がおもしろかったのですが
アルゴリズムを考えて、プログラミングする作業は、精神分析と少し似ている感じがありました。
プロセスとしては
1.データ・情報収集
2.統計を出す
3.評価関数を考える
4.最適化関数を考える

データ・情報収集までは、もしかすると開発者の意は介さないでできるかもしれないけど
統計を出す=情報を整理する。の段階で、かなり開発者の意が入る事に気づき
この後の、評価関数、最適化関数なんて、もろに開発者の意が入る
ディープラーニングは、2~4のプロセスもコンピューターにさせようと研究されていたりするようですが、もはや、AIと人を比べるのはナンセンスなのでは?と思ったりしました。
また、デザインを検討する程度だったら、開発者は、途中で導き出す答えに気づきそう。とも思いました。AIを開発しながら自己分析が終わる。みたいな。

医療分野は計測と診断のデータが蓄積されているから、AIが役に立つ部分は結構ありそうだと思う。でもカウンセリングはAIでは無理だと思う。この無理と言う場合の定義は、「感じる」「じーんとする」に至るまでは無理だろう。と言う意味です。占い的な結果で良いならいいかもしれないけど、それはカウンセリングではないと思うから。

AIは人間を超えると言っているのは、何的に超える。と言いたいのか?

Wikipediaで「アルゴリズム」の記事を読むと意外と面白い。

自然淘汰とは?

コンピューター用語に登場するキーワードは、結構、「人」「分析」について考えさせられます。「感じる」とは相反する領域にありそうなのに、この興味深さはおもしろい。
人間には、情緒も情報もある。と言うおもしろさなのだと思う。
津川先生が言うニーズの高まる時代が来るかもしれないけど
アプリ化しようとする動きも多いので、アプリ化した宗教が流行る程度なのでは?とも思います。

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